善意の車椅子

プロ野球チームに所属する某選手が、施設に車椅子を寄贈しているらしいのだが、その車椅子をヤフオクで売りに出した人が居たらしい。

さて、どうやって、その車椅子を手に入れたのか、どうして売る気になったのかは、不明だけれど、その件に関して、某選手は「裏切られた気分。普通に考えれば小中学生でも分かること。悲しいという気持ちを通り越している」と語ったとされている。

どうなんだろう。貰った車椅子は売ってはイケナイんだろうか。もちろん動機や事情が分からないので、即断はできない。が、ソレを売るコトに関して、何か問題があるのか、と言えば何も無いように思うのだが。

善意であろうと、なんであろうと、施しをしたら、その時点で終わりである。その施しを相手がどう扱おうと、それは施しをした者の知ったコトではないと思う。腹が減ってるみたいだから、あんパンをくれてやっても、相手が食べるか食べないかは、受け取った者の自由である。「顔を半分にしたのにー」とアンパンマンが嘆いたところで、知ったこっちゃない。受け取ったあんパンの使い道は、受け取った人にある。

善意の行動なんだから、施しをした者の意図に従え、なんてのは、傲慢でしかない。「この俺様が、寄贈してやったんだから、末代まで有り難く使えよ」って、どういうジャイアニズム?見返りを期待しないのが、善意なのではないだろうか。善意なんて、踏みにじられてナンボなんぢゃないか、という気すらする。

まあ、それでも、そんな境地に達するのは、凡人には無理なので、残念な気持ちになるのは仕方ないとは思うが。

しかし、なによりの間違いは、その車椅子に「サイン」していたことかもしれない。車椅子として使ってほしかったのなら、なんの変哲も無いものにしたほうがヨカッタのではないだろうか。そして、本当は、人知れず、寄贈すべきだったのかもしれない。

とか思った。