車椅子の話

シール欲しさにチョコを買ってチョコは捨てちゃうだとか、国が集めた税金が出鱈目に使われてしまうだとか、そういう事とこの件は同一だと思うのですよ。

税金となると話が分かりづらい炎の転校生・滝沢を相手にした週番の金沢が「松本伊代との結婚」を持ち出すくらいのズレ)けれど、つまり、人民が飢えているというから、米を援助してやったが、党幹部が横流しして、喜び組の水着に化けてしまい、人民は腹を空かせたまま、みたいな話ということと解釈しました。

まあ、社会的に、コレどうぞ、ありがとう、っていう対応は大切だよね、と思いますし、コレどうぞといっても、ありがとうを期待してはイケナイとも思いますし、さらに、違う部分も有るんぢゃないかと思うわけで。

あー、ニュアンスが前回の話と違ってきますが、施設とか寄付とか善意とかが絡んで、判断材料が混沌としてしまうので、ちょっと考え方を変えてみたいと思います。

プロ野球選手が、自分の足が速いので、盗塁数に応じて、なんかの懸賞を企画したとします。そうですね、1盗塁で自転車2台を抽選でプレゼント!自転車は所属プロ野球チームのカラーに塗られた特別仕様で、選手のサイン入り。希望者は、ハガキに住所年齢氏名電話番号を記載の上、プレゼント係までご応募ください、希望者多数の場合は、抽選となります。なお、抽選の結果は発送を持って代えさせていただきます。みたいな。

で、応募したら、当たったんだけど、スクーターを持ってるので、自転車乗らないなーと。自治体のゴミ収集に出してもいいけれど、新品だし、まだ乗れるから、そうだ、ヤフオクにでも出そうか。

これは、社会通念上どうなんだろう。問題になるのかなあ。というか、まあ、こんなことはよくあることだろうと決めつけておきます。

で、同じようなことを、賞品を自転車から他のモノに換えて、応募するのに若干条件をつけたと、考えたらどうなるのか。それが、車椅子となり、全国の施設・病院が応募対象となってたというだけのコトなんぢゃないのかと。

あー、なんというか、ナントカ記念○○プレゼントーッ!の類いと変わらないと考えられないだろうか。事実、所属球団の説明には、「プレゼントいたします」と書かれているわけだし。

プレゼントに至る動機や、そのへんのエピソードは別の話とも言えるし(動機は、行為や、その結果と関係ないと思うし)、いや、あえて、「施し」というレベルから一歩進んで、援助されなくてはならない対象だから、という見方ではなく、たまたま応募条件(それが20代の女性限定とか、小中学生のみとかと同じように)が、そういう施設だよってだけのことだった、という見方をするのなら、もうね、ソコには、善意とか寄付とか、そういうモノと関係ないンぢゃないか、というか、関係づけてはイケナイんぢゃないかって気もするのね。

うーん、うまく書けない。

「施し」を受けてるんだから、「有り難く使えよ」みたいな感覚が生まれるのは、実は奥底に「差別的」感情が生まれているんぢゃないか、という感じも有って、車椅子プレゼントってカタチにしてるのは、「施し」ぢゃなくて(実際はそうであっても)、普通の懸賞と同じというスタンスで行うことによって、「差別的」感情を薄めることに成功してるんぢゃないかと思うし、そうであるなら、その取り扱いを巡って、結局「有り難く使えよ」みたいな話になってしまうと、ちょっと残念な気がした、というトコロなんですね。

やっぱり、うまく書けない。