批判されて、なるほどわかりました、となる人は少ない

批判が誰の為に行われるか、なんだけど、批判されて、「あいわかりました」と納得して、即コペ転するような人は、そうそう居ないとは思う。少し時間を置いて、変遷した人は見た事有るけれど。←批判されて、納得して、態度を一変させた。スゴい奴だなあ、と思った。

朝日新聞とか、毎日新聞とか、批判されたって、態度一変させたりしないと思う。あと、Web で声高に叫ぶような、所謂ブロガーだって、「おお、なるほど。その通りです。まいりました。目が覚めました」なんてことには、そうそうならないわけで。かの「はてな」大嫌いの先生だって、事実誤認について、指摘されてたのには気づいていたにも関わらず、当該部分を、そーっと改変して誤摩化しただけだったりするわけで。

ぢゃあ、批判が無意味なのかというと、そうではなくて、たぶん、その読者たちには意味を持つ場合があるんだろうと思う。

ある意見が有って、「もっともだー」とか思っても、それに対する批判が有って、「おお、そういう考え方もあるなあ」となれば、ソレはソレで意味が有るのかなとか思う。

水伝信者とかは、批判されたくらいぢゃビクともしないだろうけれど、まだ入信してない人には、信者の意見に対する批判が効果的に働く場合もあるよね、という話。

トラックバックが、「ブロガーに対する言及通知」だけでは無いと、僕が思うのは、このへん。トラバは、読者に対する「通知」だと思うし、そんな感じで、はてなブックマークとかも、似たような機能たりうるかなとか思う。(はてぶは、コメントだけでなく、もっと反論や異論が書かれているリソースが、うまくリストアップされるようになるとスゲーかなあ、とか思うんだけど)