ハックルたんは変わるべきだ

タイトルに意味は有りません。

はてなは変わるべきだ - ハックルベリーに会いに行く】っていう日記なんだけど、これって、【非常に危険な領域 - ハックルベリーに会いに行く】のパロディというか、返歌というか、なんつかそういう類いのものだよね。

文脈も大切なので、少し長めに引用する。

こんなことがあった。ある時、ぼくの「絶対にスベらないたった一つの方法 - ハックルベリーに会いに行く」というエントリーのブックマークコメントを見られるページ(エントリーページと言うらしい)に異変が起こった。タイトルが、こんなふうに変わっていたのだ。

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ぼくは最初、何が起こったのか分からなかった。このページは、はてなが管理するページである。もちろん、ぼくのブログもはてなで書いている以上はてなの管理下にあるページなのだが、それとは意味が違う。ぼくのブログはぼくが管理できるが、このエントリーページはぼくには管理できない。ぼくが勝手に書いたり消したりすることはできないのだ。ここは、はてなが管轄するページなのである。

だからぼくは、起こったことが信じられなかった。「ハックルベリーがガツンと滑りに行く」とはなにごとだ。これは明らかに侮辱である。はてなという会社が、自らの管理するページで一ユーザーであるぼくのことを侮辱しているのだ。株式会社はてな代表取締役であるjkondoこと近藤淳也氏が、自らが管理運営するWebサービスを使って、世界中の誰もが見られる場所で、社をあげてぼくのことを攻撃しているのだ。

それは信じがたいことだった。そして本当に恐ろしいことだった。おかげでぼくは、一週間ほど色んなものが手につかなかった。これが一企業のすることかというのが、にわかには受け入れがたかった。しかしこれは厳然とした事実で、しかも一週間ものあいだ変わることはなかった。一週間ものあいだ、ぼくは株式会社はてなによって侮辱され続けたのだ。

この後にも、ハックル氏の論は続くのだけれど、しかしここまでの文章に対して、多くの人が拒否反応を示した。多くの人が嫌悪感を抱いた。そして多くの人が、ここに何かを嗅ぎつけた。その嗅ぎつけたものとは、二つある。一つは、ハックル氏の「技術音痴さ」加減。そしてもう一つは、それを無自覚にさらけ出した「迂闊さ」である。

このエントリーには、とても多くのブックマークコメントがついた。それらは、このページで読むことができる。

タイトルが変更出来るのは、はてブユーザなら大抵知っている。その方法も、概ね理解している。それは、決して(株)はてなが改変したのではなく、ユーザが行ったものだというのも知っている。そして、ハックル氏も実は知っている。

つまり、

ちゃんと読んでもらえれば、冒頭の「はてブのタイトル改変」というのは話の導入部にすぎず、「僕の問い」の本質は後半に集約されることがわかってもらえるはずだ。なのに、書いた本人としてはどうでもいい(もっと言えば無くてもよい)前半のエピソードの枝葉末節をあげつらっての批判が大半ではないか。僕はこの状況に、うんざりする。「木を見て森を見ず」とはまさにこのことではないだろうか。

という日記を、この後、ハックル氏は書くつもりなのではないか。

ぼくが最も慄然とさせられるのは、実はその日記のその部分を読んだ時だろう。特に、「木を見て森を見ず」の文言を見て、戦慄が走るに違いない。

「この人は分かってやってるんだ」

「これは大変なことになる」