Web Design におけるナビゲーションの位置とか 2

せっかく書いたのに、はてなが混雑してて云々って消えたので、もうね、転載だけにする。ぷんぷん。

「body」と書いたのも悪かったかもしれないが、土曜日の話を一言で簡単にいえばこう。「サイト」なんて無用な単位なんだから、サイト単位での利用を促すだけの「ナビゲーション」なんて要らない。そして、そいつがサイトの利用を促す「広告」なんかではなく、コンテンツを補足し、ユーザーの求める情報へ誘導する真のナビゲーションなら、コンテンツの文脈に登場したって不自然ではない。むしろ自然。

Webサイトという概念自体がナニなんだよなとは思ってた。Googleがサイトトップで、目次で、インデックスで、ブックマークで、つまり全てはGoogleというサイトの一部なんぢゃないかと。いや、Googleぢゃなくてもいいんだけどさ。

所謂ナビゲーションを、UA側が処理するとうれしいな、っていうのは、こんなもの、サイト毎にひとつひとつ視覚整形してバカみたいと思ったからなんだよね。UAまかせでいいぢゃん。

結局の所、UAがナビゲーションだと判断できるものがナビゲーションなのだと俺は思っている。それ以外は擬似ナビゲーションでしかない。HTML5ではnav要素なんてものが用意されているらしく、もしこれがnav要素部分をUAがナビゲーションとして判別しツールバーやサイドバーなどを用い別途表示するような展開になるようであればLINK要素などとは比較にならない汎用性を持つ存在になるのではないだろうか。俺がlink要素に拘るのは現状唯一UAナビゲーションとして判別してくれる要素である点にある。

サイトのナビゲーションが必要な文脈においてはその通りだと思う。つまりそのナビゲーションがコンテンツの理解に役立ち、あるいは必要で、かつサイトをまたいでUIが一定であることに大きな意味があるのなら、それはもう素晴らしいユーザビリティの向上につながるだろう。

さてそのように考えた時、世の中のサイトとやらに存在している「ナビゲーション」は、コンテンツの理解には不必要で役に立たない、ただのサイト内広告だ。サイト内広告をブラウザが判別可能だということに、どれ程の魅力があるだろうか。

俺にとってのcontextualなナビゲーションは、アドレスバーがその一つだ。ここにキーワードを入力することによって、ナビゲーターであるFirefoxが答えてくれる。authorと入力すれば著者に関する情報が、conpareと入力すればそのページに言及している情報が表示される。どちらもfat linkであり、複数のウェブページが次々タブ等のUIを通じて表示される。このfat linkはHTML5とやらですら定義されていない。次世代のハイパーテキストシステムの重要な柱になりえるというのに、fat linkの実装もないなんて「HTML」が聞いてあきれる。それはさておき。

ここまではいいだろうか。ここが一番俺が重要だと思っている点なのだが、サイトの著者がlink[rel="author"]という要素で著者情報を示しているとする。しかし、果たしてそのリンク先が満足な情報を提示してくれるだろうか。誇大広告的な内容であったり、逆に謙遜しすぎていたりしないだろうか。著者について知りたいと思ったとき、著者自身の自己申告であるlink[rel="author"]より、それを含めたウェブ上の情報の方が、よほど豊かなものにならないだろうか。

つまり、ウェブブラウザが提供するナビゲーションは、広くウェブを対象にしたものでなければならない。俺はそう思う。思うというか確信している。サイト内広告は、それぞれのサイトが自分たちの領域でで勝手にやってくれればいい。しかしブラウザの領域にずかずか割り込んで広告をまき散らされるのは嫌なんだ。

もちろん、しっかりしたナビゲーションを正しく記述してくれるサイトもあると思う。しかしそれを期待するのは間違いだ。

確かにその理論ならばサイトナビゲーションは不要なものになるのは理解。極端な話、今や誰しもが「google検索」というナビゲーションとも取れるサービスを利用しており、趣旨としておそらく同様の方向性であるアドレスバーを使用したそのような仕組みが一般化すれば情報の公開の枠を超えて真の意味で共有の域に達するのかもしれない。「サイト」なんて無用な単位なんだから、サイト単位での利用を促すだけの「ナビゲーション」なんて要らないというのも肯ける。ただ、「author」「conpare」などといった定められたワード検索であるとしたらもはや普通の検索との明確な差を感じない。それとも検索とは違う別の何かなのだろうか。入力という一手間が生じるとしたら俺ならきっとその『fat link』なるもののアクセス先をやはりlink要素として用意すると思う。サイト内“広告”でもサイト“外”広告でも便利なものは貪欲に用いるべきだ。

話は逸れるけど、俺は「著者自身の自己申告」による自己紹介リソースはどのような内容であれ結構好きだったりする。以前別サイトを運営していた際に「aboutページ」が思いの外読まれていることを知ったので割と気合を入れて書いているつもりではあるのだが。今はアクセス解析をしていない(できない)のでよくわからないけど。他所様のリソースを参照した際は、肩書きなどだけぽつねんと書いてあったりすると残念ではあるが「自己紹介もできない人間か」という人間性を計る指針にもなる。

conpareはcompareの間違いだった。まあそんなどうでもいいことと同じくらい、入力手段は重要ではない。俺は、著者に関する情報の提供をブラウザがネイティブにGUI等で提供してくれないから、アドレスバーを媒介としてscriptletを走らせるという形で簡単に実装しているだけのことで、形はもっと便利になりうる。

普通の検索との違いは「コンテクスト」検索であるということ。今現在閲覧しているウェブページに関連する情報を検索する。精度が上がれば検索という「メタファー」は適切ではないと思う。誰もそれが検索結果だとは思わなくなるレベルに高まるのが望ましい。それを可能にするかもしれないのがSW

『fat link』なるもののアクセス先をやはりlink要素として用意するというのは、ウェブページにvalue値を予め設定したGoogle検索をつけているのと本質的に同じ。やっても害はないしむしろ有益になる可能性もあるが、ブラウザが実装すべき機能だとしか思えない。何というかな。ウェブページをインスタンスだとしよう。インスタンス生成毎にメソッドが再定義されるのがlink要素によるコンテクスト検索の実装。そうではなくて、メソッドはすでにクラスで定義されていて、インスタンスがメソッドを呼ぶ際に自分自身を引数として渡すのがブラウザが提供するコンテクスト検索。Python脳的な表現だが。

先ず一点、申し訳ないことに自作されたものと知らずに、てっきり『fat link』を空想上のものと誤解していた。理想や思想を掲げることは勿論大切なことではあるが、やはりそれを映しだす鏡が無ければ机上のなんとやらであり、とても虚しいものだ。故に自らの手で擬似的にせよその鏡となる媒体を創造している人に対しては最大限の敬意を払いたい。

ウェブを便利に使いたい、アクセス性を高めたいっていうなら、今あるウェブ資源は所与として自分からアプローチしないと。福音とは両輪なのだ。馬鹿は福音の方をばっさり切り捨てて片輪で走ろうとするが。

なんていうか、ナビゲーションとかパンくずリストとか、いろいろナニ。