アバター・キモい事件について

そういえば、三宅氏から、

正しい姿勢 を標榜するなら、「ケロケロ」とか「じゃねーの」といった書き方は止めたらどうか。 30 を過ぎて、また、子供の居る親として、どうかと思う。 匿名だから こんな書き方が出来るのだろう。 匿名を一概に排斥しないけれども、こういう者が居るから匿名は駄目。

と言われたことがある。(ひとりごとって書いてあったから、俺に言ったわけぢゃないのかもしれないけれどね、ケロケロ)

で、「アバター・キモい事件」について、煩悩是道場では、

個人的にはアバターは組み合わせを間違えると非道いものが出来上がってしまうんで使い方を一歩間違えると笑われてしまう要因となってしまいますので取扱が極めてデリケートなブログパーツであると考えております。ウエブもリアル同様「40歳の男性」としてふさわしいいアバターとはどのようなものであるのかをお考えになられるのもよろしいかと思いますよ。

7万ページビューと言えば相当なアクセス数なわけで、ウエブログの外観やアバターでさえも多くの人の目に触れ、そしてuragoe_2chというウエブロガーの片鱗を物語る一部となる事を十分に考察され、行動されるのが最適解を産む結果となると思われます。

と、述べているわけですが、 「40歳の男性」としてふさわしい という文章が、この事件の核心をついているんぢゃないかと思うのでありますが、ココで話は飛ぶのです。

ところで、パワーアップしたアバターを見て、「キモい」と言った(皆が言ったわけぢゃないんだけれど)のを受けて、「誹謗中傷だ」という話が出てきて、本人の写真ぢゃなくてアバターなんだから、キモいモノはキモいって言ったッて好いぢゃんみたいな話になったら、

阿曽山大噴火という芸人がいて、この方はいつもヒゲ+スカートというファッションで暮らしているそうです。写真などを見る限り、色使いも派手。つまり、OYAJI さんのアバターの生き写しが実在するわけ。OYAJI さんのアバターは、写真と見紛うほどに本人そっくりなのだと、私は推察しています。

ですから、そのアバターを見て「キモイ、人間とは思えない」などと中傷するのは、その人の容姿を面罵するのと変わりないのではないか。少なくとも、OYAJI さんを深く傷つける可能性は大いにある。

それに実際の外見とかけ離れているとしても、何らかの願望を仮託してあのようなキャラクターを描いたのだから、当人が目にするようなところで無用の罵言を吐くべきではない、とはいえそう。そりゃ言論の自由がどうのこうのといったっていいけど、こんなところで権利を大上段に振りかざすのは感心しない。

そのアバターは「本人そっくり」なんだから、「アバター、キモい」とか言うな、と徳保タンが言ってるわけで。(そういう話だけぢゃないんだけど、それは置いといて。)

ぢゃあ、そのアバター、キモくないのかよッというと、

はてブのコメント欄に「OYAJIさんのアバターがキモい」と書く人が続出し、それに対していろいろ反応があった模様。蝶々にヒゲにスカートという姿は、私にしてみれば、変ではあるがキモいと呼ぶほどのレベルではない。

という意見もあって、変だけどキモくは無いのかもしれない。(そもそも近現代では、「変」なのを「キモい」という言葉で表すコトもあるんぢゃないのか、という意見は置いといて。)

ここで、冒頭に戻る。戻らなくても好い。

アバター自身がキモいというのもあるでしょうが、むしろ、その年齢(設定)でそのアバターというのがキモいと感じたという解釈はどうなんでしょうか。

徳保タンが言うように、阿曽山大噴火みたいな人も居るんだから云々というコトもあるのかもしれませんが、阿曽山大噴火氏は芸人なんであって、そういう芸風であるし、彼への評価は芸人という一面を通して行われているわけで、えーと、なんだ、つまり、仮に芸人でなく、一般社会人がそんな格好をしていたなら、「変」であって、場合によっては「キモい」と言われるでしょう。

つまり、「キモい」という批評は、いい大人がなんだソレは、という社会の反応なのではないか、と考えられなくはないだろうか。いい歳して「ケロケロ」とか書くな、ふざけんぢゃねーという私への批判同様、偉そうな内容を書いて、他人に説教しようというのなら、変なアバターはやめろ、なんだそのピンク色は、キティちゃんはッ、とてもマトモとは思えませんッ、ふざけんぢゃねー、が一つにまとまって、Web2.0 的に言えば「キモい」になったのではないかと思う。

いや、OYAJI氏は一般社会人ぢゃなくて、ネット上での人格であり、芸人である、というのなら、「キモい」は賛辞ということになる。キモ芸であり、その芸風がぴったりハマったコトに対する最大の評価が「キモい」そのものだと思う。

で、色々ひっくるめて、「わざわざ言わんでも。ほっといてやれよ」という意見も、その通りだと思う。【黙っていられない:メモランダム】で、現実世界では黙っているのに、ネットで黙っていられないのは、匿名性が高い所為かと述べていましたが、いやいや、正にそうだと思います。けれど、もうひとつ、知らない人ぢゃないから、黙ってないというコトもあるんぢゃないかと思うのです。

イジメとして、辛辣なコトを言うのはアレなので、ナニです。が、そうでない場合、「お前、キモい」って言わないのは、知らない人だから、赤の他人だから、そのままキモくて、皆にキモがられても、僕は痛くも痒くもないから、だから言わない。儀礼的無関心

でも、知っている人だから、わざわざ「キモいよ」と言うことで自覚を促しているのではなかろうか。しかし、一般的には、「キモい」というような直接表現を避け、婉曲表現を使用するだろうけれど。スバリ言ってしまうのは、ネットの特性というか、匿名性の高さに因るのかもしれない。

尤も、もしそうなら、はてブのコメントぢゃなくて、メールしてやれよ、とか思ったのは内緒。