Web 2.0 時代のトップページ
野嵜氏曰く。
Web 1.0とWeb 2.0の違ひとは――
- Web 1.0
- 行動の主體が「私」
- Web 2.0
- 行動の主體が「我々」
――と云ふ事になるのではないか。
ウェブの「政治化」を憂へる。
上記が凄く言い当ててるのかどうか、鋭い洞察だとか言い出したりはしませんが、案外そんなニュアンスかなーという気はするのです。まあ、ウェブの「政治化」云々はともかく、Web 2.0 とゆーのは、恐ろしく要約すると、『皆で何かをしている』或いは、『よってたかって何か(大抵の場合、正体不明だったり)を創造する』という側面を持った世界を表す言葉なのではないかと思ったり。
扨、それを踏まえて。
【ドジっ子Watcher トップへのリンクを強制するよりいい方法】を見てて、ふと思ったのだが、さて、このWeb 2.0 的解釈において、トップページなどという概念が存在するのだろうかと。
とか書き出したんだけど、【Webサイトとトップページという概念めも】で、似たようなコト書いてたから、やめる。
簡単に言うと、ブログなんて、一貫したテーマに添って、ある結論を導き出すために書かれているわけぢゃなくて、刹那的なエントリーばかりであり、まあ、カテゴライズしてみたりもされてるわけだけど、ぢゃあ、そのインデックスが論理的な纏まりを持っているのかというと、あやしい。
ほんで、刹那的ってなコト考えると、むしろテーマや時期、事象別に区切って、というかあるテーマをキーワードにした、色んなブログやらリソースの集合体の方が、情報としては価値がありそうなわけで、つまるところ、例えば【はてなブックマーク - 無断リンク】は『無断リンク』についての考察や、ある事件を追った情報集合体のインデックスであり、トップページであると言えよう。
めんどくさい。めも箇条書き。
- 書き手の意図しないトップページも存在しうる。また、この時代、トップページは利用者が作るモノかもしれない。
- サイトとは、『誰が書いているか』だけではなくて、『何が書かれているか』でも括られるリソースの集合体たりうる。
- それでも、「私」が作ったサイトには、「私」のサイトのトップページという概念が存在する。
- Web 1.0 には、トップページ必須?
- むしろ、RSS とかアンテナがトップページかも。
ぐだぐだ。