Yahoo!ブログの転載機能について 3

OYAJI氏について考える。

彼は、Yahoo!ブログの転載機能については、肯定的である。危険だから廃止しろ、とか、使うなとは思っていないらしい。Yahoo!ブログに要望はしているらしい。が、現状でも、そう問題は無いと考えているように思う。

転載する側のメリットについては、あまり考えていないらしいので、彼にそのことを問うと「転載する人に聞いてくれ」という回答がくる。もっともな答えだ。塗料店を営む店主が、どうして有機溶剤を若者が買っていくのか知らなかったとしても、まあ商売熱心ぢゃぁ無ぇなということはあるだろうけど、買っていく若者に聞いてみなくちゃ分からないということもあろう。

分からないとは言いながらも、彼が想定する「転載する側のメリット」は 100 近く存在するらしい。が、あまりに斬新なカウント方法を採用していたので、ココでは採り上げない。

どうして転載していくのか知らんが、転載したい人がいるんだから、転載可にしておく。それはそれで好いんぢゃないだろうか。

結局のトコロ、Yahoo!ブログの転載機能そのものに問題点は無く、要は「転載したモノを公開するかどうか」が問題なのだと考えているんだろうと思う。つまりは、何を公開するかというのは、常に大事なコトであって、転載物であるかどうかは関係ない。それが著作権を侵害していたりしないかなんてコトは、それを公開する人が吟味すべきコトなワケで、転載される側の知ったコトぢゃないワケだ。

彼は、一応そのへんのコトについてブログに記事をエントリーしているし、転載条件の中にもそのような記述がある。彼の主張は「転載機能の利用は自由。だけど、それを公開した場合の責任は、利用者にある」ということなんだと思う。

その通りだと思う。

転載条件に反し、公開した場合、削除を求めるのは当然の行為なワケで、彼がコメント欄で粘着したとしても、問題は無い。自ら転載可の(しかも転載を勧めるような)記事をエントリーし、それが二次転載されたからと言って、コメント欄で粘着するなんて、マッチポンプぢゃねぇかという意見もあるかもしれないが、そんなコトは無いと断言しよう。条件に違反したコトに対し、著者が削除を申し出ているのだから、普通の話なのである。その問題は、全く持って、転載利用者の責任なのであって、利用者側が公開するに当たり、条件を理解し、遵守すれば好いだけの話だったのである。

そういや、その転載条件には、二次転載以降を許諾しない旨が、 皆さんが転載した記事の二次転載は無限転載につながりますので、出来れば元記事からお願いします というようにやんわりと書かれているけれど、「出来れば」ではなく、「必ず」にしたほうが好いとは思うケド。

初心者にモノを教えるような人の行為ぢゃない、と言う人が居るかもしれない。

なに、勘違いしてんだか。WWW なんて殺伐としているのである。お手々つないでチーパッパてなワケには、いかないのである。権利や主義主張が渦巻く世界なのである。初心者だろうとナンだろうと関係ない。仮にも、ブログを使って、自分の何かを広く公開しようと考えているわけだから、そのへんの権利侵害や衝突について、十分考慮しとくべきなのである。そして、「公開することのリスク」について考えもしない、「楽しいブログ生活ぅ〜」などとおちゃらけたブロガーには、身を挺して突撃、鉄拳制裁するだけである。もちろん、初心者相手のブログを公開している人だから、その言動が優しく親切でなくてはならない、なんてコトも無いのである。

善意の転載記事だが、コレに自ブログの宣伝が入ってて、とても善意には思えないという意見もあった。宣伝が入ってたら、何か問題なのか。好いじゃないか、宣伝があったって。変だと思ったら、転載して公開なんてしないことだ。逆に言ったら、「変」なのに転載して公開してた奴らが馬鹿とも言えるわけだが。それは置いといて。

それにしても、OYAJI氏、人気が有る。あちこちで騒がれているワケだが、思うに、それは彼の芸風に因るところ大なのであろう。どちらかというと、その主張には、さほど問題は無いんぢゃないかと思われ、むしろ、婉曲な表現、時に読解が難しく、自らへのオマージュが鏤められた文章、そして何より環境に優しい省エネ的スルー力、噴火する山の如き粘着エネルギー、これらが渾然一体となり、彼の芸風を作り、それが人気の元となっているのではないかと思う。

Yahoo!ブログの雄、OYAJI。彼の名は、恐るべきエネルギーと愛すべき芸風を持つYahoo!ブロガーとして、人々に記憶されることだろう。