闇黒日記から、ほぼ転載。

無断リンク禁止とか、匿名とか。

「○○は正しくない、なぜなら××だからだ」と言つて批判するのなら話は解る。しかし、「○○は無意味である。なぜなら誰も受益し得ないから」と言つて非難するのは、何の意味があるのだらう。「受益しない」と言ふ事によつて誰が「受益する」のだらうか。

「○○の正當性はともかくとして、さう云ふ主張をしてゐるサイトを晒すのは○○と同じだとの自覺はあるのか」なる言ひ方をして見せるのはただの嫌みとの自覺はあるのか。「どこ」と具體的に指摘しないで抽象的に「啓蒙活動を行ひたいのであれば別の方法を採ることをお勧めする」等とおためごかしを言ふのは、批判として良い方法か。

しかし、何うだらう、「無斷リンク禁止」に反撥するのと、「無斷リンク禁止に反撥する連中」に反撥するのと、それらは全く同じメンタリティの發露と言ふ事はできないだらうか。單なる反撥が「批判」の動機であるのは、大變に空しいと思ふのだが如何。諸君には、本當に守りたい何かがあるのだらうか。

「匿名で自由に書込み出來る掲示板」と云ふ仕組――と言ふより、「匿名で自由にものを言へるインターネット」と云ふ仕組を構築してしまつたのは、人類の最大の過ち。企業は金儲けの爲に「自由なインターネット」を作つたが、その結果インターネットは死んだ。インターネットでの風評がリアルの世界の企業にも屡々被害を及ぼしてゐるが、それは當然の報い。IT企業がインターネットの風評被害に遭ふのはざま見ろと言つて嘲笑つて良い。一方、個人が實名で物を言へなくなつた今のインターネットは、嘗てのインターネット文化が持つてゐた美點を全て失つた。

日本では、パソコン通信が「匿名・ハンドルで發言するのが普通」と云ふ「文化」を釀成し、インターネットに非道い惡影響を遺した。パソ通出身者が安易にインターネットの世界に「匿名文化」を持込んだ事は、今のインターネットの悲慘な状況を生み出してしまつた原因の一つ。非道い勘違ひをしてゐるパソ通出身者が、ウェブを荒し、インターネットの古き良き傳統を破壞したし、今もしつゝある。彼等がおつさん化し、今も精力的に活動を續けてゐる事は、ウェブにとつて不幸な事だ。

ウェブは自由か――日本が自由であると云ふ程度には自由。ウェブでは匿名で物を言ふ自由は存在する。しかし、實名で物を言ふ自由が全く存在しない。

一度でも實名を出せば、ウェブでは發言の自由を完全に奪はれる。これは極めて恐ろしい事だが、インターネットでは殆ど全くと言つて良いほど認識されてゐない。普通に「インターネットは自由」と云ふ通念が「日本は自由主義國家」と同じ程度に信じられてゐる。

耳が痛い。