西暦 2067 年 10 月 12 日

豊島区で、教科書の検定を巡って、決起集会が行われるらしい。

2007 年に行われた、第一次沖縄決起集会参加者の人数と、過激派の強制の有無が争点で、当該集会は、2056 年にサルベージされた資料から、参加人数 100 万人で、自発的に集まったものとされてきたが、2062 年になり、瓦礫となった「朝日(ちょうにち)新聞」のサーバから、11 万人であった事実が発掘され、長年に渡り、論議を醸してきた。

所謂、「沖縄集会」100 万人派と 11 万人派の論争であるが、これに無かった派(←これはトンデモだろ)が加わり、混沌の様相を呈していたが、一昨年、爆心地の復旧と共に「にちやんねら」サーバを発掘、会場の面積から 4 万人前後だったのでは、という研究論文が発表され、学会に支持されたのを受け、教科書の 11 万人という数字を訂正する方向に文部科学省が動いたのが発端。

さらに、行方不明になって久しい「はてな村」の本格的調査が、昨年より始まったが、「少し調べて書くマシン」の目覚ましい活躍により、集会には自発的に参加したのではなく、県職員等に強制動員がかけられたのではないか、という資料がサルベージされ、「沖縄集会」100 万人派と 11 万人派にとって、苦しい状況が続いている。

そういう状況を受け、今回の決起集会は、「教科書の記述は、島民の悲願である」をスローガンに、1000 万人規模を予定しているが、会場が豊島区の四畳半であることから、またも、参加人数に遺恨を残しそうだ。

日本に壊滅的な被害をもたらした、第二次太平洋戦争以来、ようやく復興し始めた感がある昨今だが、失われた過去の柵にとらわれ過ぎては、先頃「はてな村」から発掘された「しなもん」も浮かばれまい。