匿名は卑怯者なのか

池田先生は、「相手に面と向かっていえないことを匿名でいうのは卑怯者だ」と述べられたわけですが、しかし、匿名での発言を封じたいわけではありません。皆、実名になればいいのに、という小倉先生とは一線を画すのです。

では、匿名でも卑怯者呼ばわりされない発言とは何でしょう。件の台詞から考えると、「相手に面と向かっていえないこと」以外のことなら、発言しても「卑怯者」認定から外れるようです。

ここで、問題になってくるのは、「相手に面と向かっていえないこと」のガイドラインです。どんな人格攻撃でも誹謗中傷、罵詈雑言でも、面と向かって言えるもんねー、という人は、匿名でそのような発言をしても卑怯者ではない、ということになるのかというと、そうではないのではないか、というのが前回の記事での、私の解釈でした。

「相手に面と向かっていえないこと」とは何か。なんか、ぐるぐる循環しそうな予感がしてきたけれど、「実名では発言できそうもないこと」を意味するのではないでしょうか。(ていうか「実名で発言したら、身の危険がアブナいようなこと」かな?)

「俺は、面と向かったとしても、何でも言えるぜ」
「ぢゃあ実名で書けよ」
「いやちょっと実名は色々あって……」
「実名で書けないのなら、黙ってろ」

「相手に面と向かっていえないことを匿名でいうのは卑怯者だ」というのは、「相手に面と向かって言えないことを実名で言うのは卑怯者ではない」ということで、さらに意訳すると、「実名では発言できそうもないことも、実名で言うのなら卑怯者ではない」ということなんだと思うのです。

普通は、面と向かって「病的な嘘つき」とか「鼻つまみ者」とか言えそうも無いけれど、池田先生は相手が居るところまでわざわざ出張してでも、「病的な嘘つき」とか「鼻つまみ者」とか言えるのだという自信があって、発言してるのだと。

強ぇ奴しか生き残れない、それが論壇に生きる者の掟なのだ、と池田先生は言いたいのではないでしょうか。

実名で書いても、なんの軋轢も生じないような話なら、匿名でも好いよ、ということなんだろうなと思ったのでした。(ていうか「実名で発言しても、身の危険がアブナくならないようなこと」かな?)

あと、急に思いついたんだけど、日本人は、自分の生命が一番大切なので、身に危険がふりかかるのを避けようという点から、匿名が多いけれど、欧米人、特にキリスト教の人は、自分の生命より大切なものが存在するので、身の危険よりも優先するものがあるが故に、実名が多いとか、スゲー適当な解釈。

理想のインターネットを作る為の問題は、卑怯者と呼ばれたくない、と皆が思うところからなんだけど、卑怯者と呼ばれても生命の方が大事、っていう云々。