Web Design におけるナビゲーションの位置とか
久々に更新。ていうか、気になることのメモ。ていうか、引用。ていうか、無断転載。
ナビゲーションは文書の前か後かどちらに記述するべきか、みたいな議論。前も糞もないだろうと俺は思うんだけど。その際、必ずといっていいほど音声ブラウザで云々というお話が出てくるのだけれど、結局後ろにした所で最後の方に読み上げる時に読み上げちゃうわけでしょ。ナビゲーションはやはり前でも後でもなくあくまでナビゲーションとして存在すべきなのできちんとヘッダーにまとめるべきだろう。必要な時に呼び出して使えるのがナビゲーション。
まあ、音声云々ってのはあるんだけど、ユーザーは、本文の内容を読みたくて、リソースを開くわけで、なのに、初っ端から「ナビゲーション」登場って、どういう了見なんだよって気がするのね。この本文は、内容が無いから、他のリソース当たってくれっていう意味なのかよっ、とか。
肝心なこと返事する前に、余計な紹介するとか、前置き長ぇよ、みたいな。さっさと話しやがれ的な。
本文、終わった後に読み上げるのは、まあ、許せるのよ。
前衛的な話をすれば、ハイパーメディアはそれ自体がナビゲーションで、ものによってはコンテンツとの境界は限りなくぼやけている。その意味では世間でナビゲーションと呼ばれているものをbody内に記述するのは自然であると思う。body内にあって不自然だと思うのは、それらのナビゲーションがコンテンツにとって不必要であるからに他ならない。そんなものはlink要素に追い出したって不必要なことに変わりがないと、俺は思う。
サイト全体が一つのソフトウェアとして有意であるというのなら
必要な時に呼び出して使うという本質的な需要はあると思う。しかしここはインターネットだ。そのような属性を持ったサイトは現在進行形で減りつつあるし、あるいはそれらはウェブサービスと呼ばれるようになった。
ユーザにとって必要なのは、およそ、その本文と(その関連情報)であり、「ナビゲーション」で誘ってるような内容では無かったりするわけで、ナニ。
視覚的な話として、body内にあることが不自然なのではなくてheadが基本的に見えないものとして扱われていることこそが不自然なのではないだろうかと思う。htmlなんて所詮headとbodyの二大要素をくっつけたものであり、極端な言い方をするなら「大差無いしろもの」だ。どっちも単なるhtmlの要素にすぎない。headもbody同様に見える存在であったならば、きっと多くの制作者達は必要なナビゲーションとしてhead――link要素を利用することが主流になっていたはずと思えてならない。ナビはheadに、内容はbodyに。スマートだ。title要素をわざわざh1要素に落として再記述することに不自然な感じを受けたことはないだろうか。titleに記述したものを素直にウインドウ内で可視化してくれれば何の違和感もないはずなのに。タイトルバーという狭いスペースに表示されることは派手さを望む大衆には受けなかった、というのは考えすぎだろうか。link要素も然り。headが見えない事の弊害と言っていい。Lynx等「見える」UAもあるし、MozillaやiCab等に代表されるブラウザのナビゲーションバーに取り込むUAもあるけれど、やはり表現力としては貧しいもので結局はリッチな表現を求めた大衆の総意として画像等の使えるbody側にその位置を奪われてしまった、というのが現実なのだと思う。そのまま現在に至っただけということで。
Web「サイト」を閲覧するにあたって、ページ送りや戻りとか、一覧の収集なんてのが、それぞれのサイト毎に違うなんてことが、そもそもヘンテコリンなんであって、操作体系は、せめて、ブラウザ毎に統一できた方がいいんぢゃないか、とか思う。
TVのチャンネル毎に、ボリュームやチャンネルやなんかのインターフェイスが違ってたら、めんどくせえ気がするわけで。
link要素でサイトマップを指定したら、サイドペインに展開するとかいう機能が欲しいなあ、と思う。サイト編集者は、本文を書いて、サイトマップを更新するだけっていう、手間が少なくて済むわけで。
まあ、CMSとかあるよ、とかなんとか。
とりあえず、めもる。
追加する。
何年か前には熱心に議論してゐた事だけれども最近は最うこの手の事には興味を失つた。音聲ブラウザだつて今となつては何うせ「まともな作り」のサイトなんて滅多にあるまいと云ふ前提で作られてゐるだらうし、ならば「まともでない作り」である方が「正義」なのだ。Googleも「まともでない文書」前提のアルゴリズムでデータ蒐集とサイトの重み附けをやり始めてゐるだらうし、さうなると吾々がまともなHTML文書を作つても最早SEO的には何の役に立たない。金錢感覺のある人や世間の流れを讀める人は、「正しいHTML」なんてものに關はつてゐないで、「一般的」な文書を澤山作つてばら撒く事を考へた方がよろしからう。
なんていうか、「絶対に負けられない戦いが、そこにはある」んだけれど、それはもうお笑いでしかないんだよ、みたいな話でさ。
ブレーンプレーンテキスト最高!バンザイ!