母集団

犯罪者が、なんかの思想や信条とか、或いは民族という括りで括られる母集団に属しているかどうかという観点から、その母集団の危険性を云々することこそ、虐殺への道となるんぢゃないかと思う。たしかに、危険な思想・信条或いは教義は存在する。が、それを持って、その集団が危険だから、出来るだけ排除できるような、というか、排除しやすくなるような考え方をしてしまってはいけないのではないかと。もちろん、排除しないことにより、結果的には犯罪行為、またはとんでもない災いがふりかかる恐れはあるんだけど、あまんじてそれを受け入れることが出来ないのであれば、結局、虐殺なんてものは無くなりはしないのぢゃないだろうか。

まあ、排除しようという気持ちが、極端にエスカレートしたものが虐殺なので、一概に同レベルで論じてはいけないのだろうけど。ただ、排除したいという気持ちは、いずれ虐殺につながっていくものなんぢゃないかと思う。ひとりひとりがそうならないように心してかかれば、大丈夫、ってのも分かるけど、たぶん、そんなことでは、虐殺に至る道へつき進むことを防ぐことは出来ないような気もする。皆、走っちゃうんだ、そういう時は、なぜか。たぶん、人間がそういうものだから、なのかもしれないけれど。

つまり、虐殺を防ぐのは、殺されてしまってもいい、っていう気持ちしかないのよね。殺らなきゃ、殺られるかもしれないけれど、それでも殺らないと。