気持ちだけぢゃ、どうしようもない

どうやったら相手が傷ついたり悲しんだりするのかぐらいは、わかりそうなもんじゃないかい?

世の中、わからないことも多いのです。

どのくらいのレベルなら、傷つくのか、どのくらいなら「痛いっ」と感じるのか。他人には、絶対分かりません。他人に、自分の気持ちを分かってもらえる、というのは、幻想なんぢゃないかと。

感じ方は人それぞれですから。

だから、痛いときには、「痛いっ」と言いましょう。「あのー、痛いんですけど」と。

肌が触れただけで、「ひやーっ」と絶叫する人もいるだろうし、ナイフで刺されても平気な人もいるかもしれません。

だから、傷ついたり、悲しくなったら、そう伝えましょう。

また、情報を伝えるにあたって、顔をつき合わせて会話しているわけではない、インターネット上では、情報に欠落が生じます。なので、ことさら、気持ちを分かってほしかったら、そうはっきりと言わねばなりません。

そして、皆が皆、同レベルで痛みを感じるわけではありません。僕は傷ついた、私は悲しかった、とはっきり主張しましょう。普遍化して話をしてはいけません。

さらに、立場の違いも考慮しなければなりません。

他人が、傷つこうが、悲しくなろうが、一向にかまわない、という人もいるでしょう。そして、主義・主張の違いというのもあるかもしれません。例えば、著作権なんてものは、これを認めない、なんて人もいて、過激に無断転載を繰り返している、なんてこともあるかもしれません。

こういう人の前で、傷ついた、悲しくなった、と言うことにどれほどの意味があるのか。

意味はありません。

傷つき、悲しみたくないのなら、正しい手法でやめさせるしかありません。無断転載をやめさせたいのなら、それなりのトコロに訴えましょう。そして、正しい手順に従い、粛々と処理してもらうべきでしょう。

「私の気持ち」だけでは、世の中は動きません。というか、「私の気持ち」だけで、世の中が動いたら、その方が怖いんぢゃないでしょーか。