八月十五日に靖国参拝する総理大臣を抱く日本という国家

おもしろいなあ、と思う考え方があった。ちょっと量が多くなってナニだけど、気にしないで引用しちゃうもんね。

カレーライスをかき回して食べるのが好きな人がいる。ところがそれは許せないという人もいる。韓国ではビビンバはかき回して食べる。ブラジルでもそうだ、猫メシだと開高健は怖気をふるっている(『オーパ』)。でも、麺類を食べるときに音を出す習慣には耐えられないとする民族も多い(映画「タンポポ」)。お互い様である。どっちが正しいとか言う問題ではない。必要なことは、相手が耐えられないような嫌悪感を感じることはしないというのが文明人の処世術であるということ。

この「理屈ではない」というのは、「セクハラ」の定義を見れば明きらか。日本の法律では、「相手が嫌がることを強制し、それを繰り返せせば」、その行為の正当性の議論とは別にして、立派な「セクハラ犯罪」は成立するのである。これは「男女逆差別の法律だ」ということなかれ。エティケットの基本はこういう事から來ているのである。

日本の内閣総理大臣の行動が、近隣国に不快感を与えている。「そばを音を立てて食ってどこが悪い!」もしくは「猫メシのどこが悪い!」さらには「職場での親密な女性部下との関係維持のどこが悪い!}と力説する前に、不快感を与える行動を慎むべきである。これがエチケットである。これが分からない人は、社交が出来ない。国際関係をハンドルする資格はない。

ああ、人の嫌がることを、あえて、しちゃぁいけませんよ、と。理屈ぢゃない、というあたりに、ちょっとキュンとしちゃう。

いやさ、正論だわさ。

嫌だって言ってるんだから、どうして嫌なのか、そんなの関係ないんだよ。嫌なものは嫌なの。

牛を食うのは許せないという人がたくさんいる国があって、嫌悪感を表明してきたら、牛肉はスーパーの店頭から消さなきゃならないし、豚も同様ってぇことなら、やっぱり店頭から消すべきだし、犬は食うもんだから、ペットとして飼うなって言われたら、フライパンで焼いて食うし、猿も食えと言うなら、キーキー鳴いてるニホンザルを食うことにして、アッラーに対する敬意が足りないって言うなら、毎日礼拝するし、蕎麦も音たてるなッ、鯨もイルカも食うなッ、生の魚は食うなッ、生水は飲むなッ、うんこするな、ちんちんが付いてるから不快だ、ヲタは死ね、もう息するな、日本なんか沈没しろ、バナナはおやつぢゃない、24時間テレビとかマラソンとか心オナニーとか言ってんぢゃねー、はてブにコメントしてんぢゃねぇ、無断リンク禁止、リンクはトップページに、素通り厳禁、キリ番報告、日本人なんか生きてるだけで不快だ、等々、アジアの某国が不快感を表明してきたら、日本人は腹ぁ切って死ぬべきなんだよ。

それがエティケットというものだぁろ。