サイレントマジョリティと沈黙のオーディエンス

とゆーことで、【レジデント初期研修用資料: 「サイレントマジョリティーの声」の実装案】を読んでて、『沈黙のオーディエンス』を思い出しました。

サイレントマジョリティの正体は『沈黙のオーディエンス』である。『沈黙のオーディエンス』の多くは、意思表示をしたがらない。

オーディエンスは面倒なことを避けたがる。これは自然なことだ。メールでわざわざ反応を示すなんてことはしない。その瞬間、オーディエンスと同時にパフォーマーにもなるので、社会的には状況が複雑になるだけだ。多くの人は沈黙を守る。

どんなシステムを採用するにしろ、オーディエンスである限り、パフォーマーにはなりたがらない。なんらかの意思表示(しかもそれが公開されるなら、なおさら!)をしたならば、その途端、演じる側に廻り、他のオーディエンス達に晒されるわけだ。そんな面倒は御免なのだ。

何か言いたかったとしても、スクリーン越しに呪ってた方が、ずっと楽だし、その上、実は『沈黙のオーディエンス』の多くは何も言いたくはないんぢゃなかろうか。感想なんて無いんだ。興味が無いのかもしれない。

もし、無理やりにでも意見を問われれば、可否いずれかの答えを出すかもしれない。が、本心は「どっちでもいい」なのかもしれない。つまり、『沈黙のオーディエンス』の意思は曖昧であり、混沌である。

実は何の意思も無い『沈黙のオーディエンス』という集合体に、明確な意志が存在するはずだという思い込みが、サイレントマジョリティという幻想を創り出している、と言えるのかもしれないんぢゃなかろーか。

とかなんとか、スゲー適当。