言わずもがなのコメントと村長さんの仕事

公園で絵を描いている人に「スゲー下手」って言わないのは、色々理由はあるだろうけど、ひとつは、「しょうもないもの」はスルーされることで評価される、ってのがあるからだと思う。

くすりとも笑えない「クソすべり芸人」のギャグに、観衆は笑わない事で評価する。わざわざ「つまんなかったで、自分」とか、楽屋まで評価を伝えに行ったりしない。(観客全員が、楽屋に花束持って来て、一人ずつ全員が順番に「つまんなかった」とか言って来たら、スゲーへこむだろなぁ)「おしゃべりクソ野郎」のつまんない行為に、いちいち「スゲうざかった」とか伝えたりしない。冷めた目で見てるだけ。

面白かったら笑う。素晴らしかったら、拍手する。つまんないものには、笑わない。ヘタクソだったら、拍手しない。

評価がプラスのものにだけ反応する。ゼロ以下のものについては、どんだけマイナスかなんて評価はしない。ただ、スルーあるのみ。

スルーされて、スルーされまくって、沈黙のオーディエンスに耐えられなくなった芸人は消え去っていく。

面白い、つまんない、感動した、どうでもよい、素晴らしい、ド下手、評価がリニアで 2 方向しかないようなもの、そういうものは、マイナスの評価をする必要はない。プラスの時だけ、評価すれば好いし、大抵の人はそうしてる。はてブでも、そういうものは、どんだけマイナスなんだよ、っていうブクマはあんまりないと思う。スベった時はブクマされない)

なんだけど。

そういう評価以外のもの。

思想・哲学、或は意見、なんかの解説。そういうものには、プラス、マイナス、右、左、入り乱れて異見が出て来る。そりゃ違うよ、とか、その通り、とか。

その通りは、その通り以外のなにものでもないので、なんの問題も無いんだけど。

で、そりゃ違う場合。

いきなり、「あたまわるい」「これはひどい」で終わってしまうのは、批評・批判・評価・異見の体を成してないと思う。どこがどう「あたまわるい」のか、どこがどう「これはひどい」なのか、論理的に説明していなければ、批評でも批判でも異見でもない。コメンテータとしての責任を果たしてないと思う。

ということで、はてブでブクマする時、コメントを書くときには、なるべく論理的に分かりやすく書こう、これからは。

とか思った。

というか、はてブネガコメが酷いんですぅ、って言う人は、具体的にどのブクマが酷いのか、1つ1つ指摘した方が好いと思う。自分のブログにそのブクマコメントを引用して、「ひどいんですぅ。村長さん、見てください。どう思いますかぁ?」って書いて、村長さんに id コールなり、トラバなりすると、村長さんが皆を集めて意見を聞いてくれるんぢゃないかな、とか妄想したんたけど、どーなのよ。