大リーグボール1号の誕生

ブクマコメントに、いたく感心されてしまったわけですが。

これは、ブコメに「星飛雄馬談」と書いた通り、往年のスポ根マンガ「巨人の星」の一節からの改変です。オリジナルは下記のようになります。(注:句読点は筆者追加)

打たれまい、打たれまいとこりかたまった姿勢ほど、もろいものはない。打たれてけっこう。いや、もう一歩進んで、打ってもらおう。

星飛雄馬は、剛速球投手として甲子園準優勝を果たし、高校中退して、ジャイアンツにテスト生として入団。しかし、球速は速いが、いかんせん球が軽い。これは体格に因るもので致命的であり、しかも無駄にコントロールが良い(家の壁に開いたボール一個分の穴を通し、表の木に当て、跳ね返ったボールがまたその穴を通過してくるほど凄い)ため、バッターにとってはミートすれば跳ぶピンポン球。投手生命を絶たれるような衝撃の事実でありました。

しかし、あの400勝投手の金田正一の助言により、かつて誰も投げたことの無い変化球、「大リーグボール」の開発を目指すこととなります。そのヒントを掴むため訪れた鎌倉の禅寺での出来事が、その後の彼の人生を大きく変えることとなります。

禅寺で座禅を組む飛雄馬は、心の迷いから、容赦なく打ちすえられる。ぴしぴしと打たれていると、寺の住職の講話となる。住職は、ぴしぴしと打ちすえられる飛雄馬を笑い、むっとした飛雄馬は、いくらでも打ちすえろっと開き直る。するとどうしたことか、さっきまでのぴしぴしが嘘のように、全く打たれなくなる。そこで、上記の一節が語られることになるのです。

打たれまい、打たれまいとこりかたまった姿勢ほど、もろいものはない。打たれてけっこう。いや、もう一歩進んで、打ってもらおう。

勢いで、二度、引用しました。(しかも、なんと、実は星飛雄馬が語ったわけではなく、寺の住職!)

このあと、住職は、以下のように続けます。

この心境を得たとき、むずかしく禅などといわんでも、なやみ苦しむ人生の森の迷路に、おのずと道もひらけると思うのじゃが、いかがかのう。

ここで、飛雄馬は目覚めます。そのセリフが「見えた」です。まさしく、「打たれてけっこう、いや……、もう一歩進んで、打ってもらおう」の大リーグボール1号の始まりだったのです。

打たれぬための大リーグボールと、一見、逆のようだが、その中にこそ、おそるべきヒントがひそんでいたっ。

雄馬のセリフですが、人生において何かをする上で、なかなかに面白い視点だとは思います。