審判は第三者めも

記事を公開する。

全世界に向けて、大公開なわけだけど、世界中の人が読んでくれるわけではない。ほんの一部の興味があって見に来た人が読者。で、読者の多くは「沈黙のオーディエンス」。サイレントマジョリティなのか、華麗なるスルーの一族かは不明。

ブクマされる。なんか突っ込まれてる。

このブクマも大公開。だけど、対象は、最初の記事と同様、ブクマに興味のある一部の人。このブクマコメントに対し、多くは「沈黙のオーディエンス」。サイレントマジョリティなのか、華麗なるスルーの一族のエドガー・ポーツネルなのかは不明。

ブクマコメントは、どう見ても、間違ってる。誤読も甚だしい。

で、ここでどうするか。

引用して、論破すれば好い。そもそも、当初の公開記事は誰を相手に語っているのかというと、自分のブログなりサイトの読者なわけで、批判的なブクマカに語っていたわけではない。ブクマカを言い負かして、「もうこねぇよ」と言わしてみたところで、何の益も無い。むしろ、記事に対する批判があったということは、既存の読者にも同じように勘違いした者が居るかもしれないので、より詳しく自説を展開するためにも、批判コメントを引用して、解説・反論することは好いことではないかと思う。

なので、この時点では、ブクマカに反論があることを知らしめる必要性は無い。勝手に引用して、反論しとけば、それで好い。

もし、ブクマコメントが、やや曖昧で(100文字制限があるのでその辺はナニ)意味を確認したい、或いは、真意を問い質したい(ひょっとしたら自説に大穴が空いてるのかもしれないので)、または質問したい場合になったとき。

ここが問題。

連絡を取りたいけれど、ブクマにはトラバもコメ欄も無いので、idコールは有るけれど、ユーザではないとか、ちょっと敷居が高いっすよ、と。

これを称して、一方的であるとかいうのはナニな気はする。

もともと、世の中、そんな簡単にいかないものだけど、それでも、まあ、なんとかしたい。

ブクマにメールアドレスや電話番号が書いてあるとか、連絡手段が有ると、建設的なコミュニケーションがとれるんだろうけれど(そう思って、私のブクマには連絡手段へのリンクを書いた)

で、はてなが中継して、連絡が取れるようにしたらいいのかな、とか思った。たぶん、今でも、はてなに連絡したら、仲を取り持ってくれるような気はするけれど。

まあ、それでも、返事が来ない可能性は有るよね。仕方ないね。WWWを建設的に利用しようという人ばかりぢゃないだろうし、忙しい人も居るだろうし、それぞれ事情もあるだろうし。

なんでもかんでも、「議論」に引きずり込めるわけぢゃない。ソコは諦めるしかないのかな。

いずれにしろ、対立する意見が有ったとして、勝敗を決めるのは、公開言論の場合、第三者たる読者だよね。反論に反論を重ねて、息が続かなくなった方が「負け」ではないと思う。だから、ブクマカを自ブログのコメ欄に召還したり、或いははてブのシステムを改変させて、殴り込んで掴み合いの喧嘩してみたところで、当事者に勝敗はつけられない。

どっちの意見に納得するのかは、読者。まあ、願わくば、読者が論理的でありますように、ってくらい。

殴り合いの議論したら、当事者は満足するのかもしれないけれど。

いや、なんだか、まとまってないや。